どうやらパンドラの箱を開けてしまったのかも。
きむらたかし@三田用水さんによると、以下の通りです。
土地条件図からみると、多分ビンゴ。
ただ、先にお送りした大正8年図もあわせ考えると
谷筋は、東からまっすぐ西に向かっていたものと思
います。
どうも、本当にあり得るようです。確かに土地の区分がそこだけ違います。
桜上水confidentialさんによると以下の通りです。
遺構の場所には小さな玉電の鉄橋があったように思います。
玉電は、この付近は、北澤川支流の流れに沿って建設されていますので、線路東側の住宅地の排水を西側の流れに落とすため、何本か線路をくぐる水路があったのでしょうか。その中で一番太い水路が玉電松原駅の北側にあったのだと思います。
玉電松原駅とは懐かしい!
まず、排水が出たことと、それを流すための水路が必要とされたことは否定しません。しかし、この部分だけは特に立派な橋であり、他の水路とは別格である理由がありそうなのです。
てさんより
こんにちは。
川俣さんの地図の赤線を見て、アッと思いました。
実は松原4丁目の不思議を、色々思っていました。
この赤線の線上にあたる4-34付近に、住宅街に不似合いな歩道がチョッピリ有ります。水路かなぁ~っと第一印象。でも西側で北西に民家の中に行く様にも思えました。計画道路地でもないのに…是非川俣さんにも見てもらいたいです。
他に調査したいと思っていた地
①4―33と34の間の道路
これは、地図にはあるのに柵で入れません。南側は柵の向こうに通路が見 えます(良くある水路跡の様に見えます)北側は民家の庭の通用口に見え ます。路上には、道路示すT字表 示があるのに、実際は通行できません。
②4-5と6の間の弧を描く道
路水路跡の様にも見えます。直ぐ4-3に突き当りますが、3の中を航空地図で
見ると弧の延長上にも弧を描く様に住宅地が仕切られている。
③②の近くの4-3と19の間の狭い道路
まるで水路跡の様。超狭い上に民家の表玄関は無く、パイプが地面に入っ て行く。
④ちょっと離れて番外だけれども、2-37の歩道
ほんの数mだけれども、20年位前の住宅地図にも存在します。
ただ、ここの前の道路は、計画生活道路になっていて、延長線上に、赤堤4丁目の一部広くなっている所と一直線上です。
この歩道がもし水路跡どすると、地形的には明大前支流方向と思われま
すが…
また、思いつくまま書いてしまいました。川俣さんの一言から、以前に感じていた事、思い出して一気に書いてしまいました。
散策の途中に寄って頂けたら幸いです。
これは現地を見ないと何とも言えませんね。
しかし、このあたりがどうも引っかかる感覚は分かります。
実は、下高井戸駅から弧を描くように東松原方向に向かう道があって、良く歩きますが。この道も謎です。なぜ直線的に道路で地域を分割するのではなく、北に向かったつもりが弧を描いて東に向かう必要があるのか。ちなみに、弁天池(現在は公園)を水源とする北沢川支流を途中で渡りますが、単に渡っているだけで曲がる根拠にはなりません。